東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)232号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、原告が主張する審決取消事由の存否について検討する。
1 転用困難性について
(一) シリル化、イミノハロゲン化、イミノエーテル化、加水分解による所謂シリル保護法による脱アシル化手段(本願発明、引例1の脱アシル手段)と異なる脱アシル化手段を採用すれば、本願発明の目的物がセフアロスポリンCの3―複素環チオメチル体を原料として製造できることが、引例3、引例4に開示されていることは、原告もこれを認めて争わないところである。
ところで、成立に争いのない甲第二号証、第八号証の一ないし三、第一七号証、第一八号証、乙第一号証及び弁論の全趣旨によれば、引例1には、3位のメチル基上の置換基がアセトキシ基であり、4位のカルボキシル基をシリルエステル化したセフアロスポリンC又はその7位の側鎖アシル基中のアミノ基を保護した該化合物に本願発明の脱アシル化手段を適用した場合、所望のセフアロスポラン酸が著しく高収率(実施例2においては九一%、実施例3においては八四%)で得られることが開示されている。そしてセフアロスポリンCをニトロソ化、加水分解工程で脱アシル化することは従来法として周知(この点について原告はあえて争つていない)であり、またセフアロスポリンCの3―複素環チオメチル体をニトロソ化、加水分解の工程でアシル化することも引例3、4に開示されているところであり、これらのことは、3―置換メチル―7―置換アミノ―3―セフエム―4―カルボン酸の3位のメチル基上の置換基がアセトキシ基である化合物においても、複素環チオ基である化合物においても、その7位のアミド基からアシル基を脱離させる反応については同様の反応挙動を示すことを予測させるものであつて、引例1のシリル保護法による脱アシル化方法を本願発明の出発原料の脱アシル化に適用することによつて、その脱アシル化反応が引例1と同様に進行して、本願発明の目的化合物が得られると予測するのが、如上の原料化合物の構造上の類似、反応形態の相互の関係に照らして、通常である(なお、引例1の特許請求の範囲には、原料化合物について「予め官能基を封鎖しておいた7N―アシルアミドセフアロスポラン酸」と記載されており、どのような保護基で官能基を封鎖するか特定されておらず、そして、セフアロスポリンCの7位の脱アシル化に当つて、5´位のアミノ基を適宜保護すること、保護基としてはフタロイル基を始め多くのアシル基が使用できることは当業者によく知られているところからみると、引例1の原料化合物は、その実施例3に示されるN―フタロイルセフアロスポリンCに限定されるものではないし、一方本願発明の原料化合物についても、5´位のアミノ基の保護基を式X―<省略>で表示しているのみであり、さらに該基について、Xはアシル基の特性を示す基たとえば―CO―であり、―<省略>は炭素で結合した有機残基たとえば脂肪族、芳香族等の基とアシル基全般を包含するように説明されているところからみて、本願発明の原料化合物と引例1の原料化合物とは、7位のアミノ基に結合する5―アミノアジパモイル基のアミノ基の保護基の点で異なるとはいえず、この点に関する差異をいう原告の主張は採用できない。)。
(二) さて成立に争いのない甲第三号証、第四号証によれば、参考資料2には、まず「セフアロスポリン類の3―メチレン基におけるアセトキシ基を他の求核性化合物(複数)で置換することが容易な反応であると知られ、多くの誘導体が製造されてきた。(註一五)」と記載されており、その註一五の引用文献をみれば求核性化合物とは複素環チオ基をも指すものと解されるから、この部分は、結局セフアロスポリンの3位に複素環チオ基を導入する反応がスムーズに進行し、多くの3―複素環チオ化合物が製造されていること、すなわち、3―複素環チオ化合物の安定性を示すものであり、それに続いて、3位のメチル基上の置換分はβ―ラクタム環に誘起効果に及ぼす旨記載されているところからみて、この「誘起効果」が直ちに3―アセトキシ化合物に比して3―複素環チオ化合物が不安定であることを示唆するものとはいえない。また、参考資料2には、3位の複素環チオ基と4位のシリルエステル基の両者が併存する場合の反応性について示唆する記載は全くない。
また成立に争いのない甲第七号証によれば、参考資料3には、7―アシルアミドセフアロスポラン酸のメチルエステルをアルカリ性条件下にエステルの加水分解反応に付した場合、得られる生成物の七〇%は△2に異性化された化合物であり、目的とする△3化合物は三〇%の割合で得られるに過ぎず、この△2と△3の生成比率は多分3位のメチル基上の置換分の大きさの差を反映したものである旨記載されている。
しかしながら、該資料には、シリルエステルの加水分解に際しての挙動を示唆する記載はなく、そして引例1においては、シリルエステルに本願発明の脱アシル化工程を適用した場合、シリルエステル化、脱アシル化の諸工程を通して著しく高収率(実施例2においては九一%、実施例3においては八四%)で目的とするセフアロスポラン酸が得られているのであるから、このシリルエステルの場合と著しく挙動を異にするメチルエステルについての記載しかなく、しかも3位に複素環チオ基が置換する場合について言及していない参考資料3をもつて、これが、本願発明の脱アシル化においては、格別に異性化された化合物を生じ易いことを示唆しているとはいえない。
次に成立に争いのない甲第一二号証によれば、一九七九年発行ジヤーナル オブ メデイシナルケミストリー第二二巻第六号には、3位のメチル基上の置換基が複素環チオ基であるセフアマンドールの4位のカルボキシル基をエステル化すると、△2と△3の異性体混合物が得られる旨記載されているが、該置換基がアセトキシ基である場合との挙動の作異を示す記載は何もないし、シリルエステルの挙動を示す記載はない。
さらに成立に争いのない甲第一三号証によれば、一九七二年アカデミツクプレス発行、エドウイン エツチ フリン編集「セフアロスポリン類とペニシリン類の化学と生物学」には、一般にセフアロスポラン酸類は、ピリジン中で徐々に△2へ異性化されるけれども、4位のカルボキシル基がエステル化されていると一層異性化されやすい旨の記載、及び参考資料3の前記記載を引用した記載があるが、前者の記載については3位のメチル基上の置換基による差異について触れていないし、シリルエステルの挙動を示す記載はない。
なおまた、成立に争いのない甲第一四号証ないし第一六号証及び第一九号証ないし第二三号証によれば、出願公告特許公報ないし出願公開特許公報であるこれらの甲号各証には、単にセフアロスポリン類及びペニシリン類が一般に不安定性を持つ化合物であることを記載する部分があるのみで、3位のメチル基上に複素環チオ基を持ち、4位のカルボキシル基がシリルエステル化されている化合物が3位のメチル基上にアセトキシを持ち4位のカルボキシル基がシリルエステル化されている化合物に比し特に不安定であることを示唆する記載はない。
以上検討したとおり、原告があげる前記各参考資料ないし刊行物には、原告主張の化合物の安定性あるいは異性化の傾向についての断片的記載はみられるものの、本願発明における出発原料が3位のメチル基上に複素環チオ基を持ち、4位のカルボキシル基がシリルエステル化された化合物であることによつて、本願発明における脱アシル化反応の進行を妨げる挙動を示すものであると、本願出願当時の技術水準として考慮されていたものとは認め難いところといわねばならない。
(三) そうすると、前(一)項認定にてらし、審決が、引例1の反応において、その原料化合物を本願発明の原料化合物に置き代えることが容易であるとし、本願発明の脱アシル化手段を採用する場合に、特に3位のメチル基上の置換基の種類によつて反応が左右されるとは解し難いとした判断に誤りはなく、原告主張のような転用困難性の看過はないといわねばならない。
成立に争いのない甲第一〇号証、第一一号証によつて認められる別件審決の存在も、事案を異にすることでもあり、その見解の相違は何ら右判断を左右するものではない。
2 作用効果について
前1項認定にてらし、また前掲甲第八号証の一ないし三によれば、原告指摘の明細書の記載も抽象的なものにとどまり、本願発明の構成に即して当然予測できる程度のものに過ぎず、本願発明が、出願前の公知技術に対し進歩性を有すると認めるに足りる顕著な作用効果を奏するものとは認め難く、この点に関し審決が判断を誤つたということはできない。
三 したがつて、審決には原告主張の判断の誤りはないから、これを理由としてその取消を求める原告の請求は失当として棄却する。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
一般式
<省略>
(式中X―<省略>はアシル基、Yは置換分として低級アルキル基もしくは低級アルキルチオ基を有するかまたは有しないチアジアゾリルチオ基をそれぞれ意味する)
で示される3―置換メチル―7―置換アミノ―3―セフエム―4―カルボン酸誘導体の塩類に、または上記の式で示される3―置換メチル―7―置換アミノ―3―セフエム―4―カルボン酸誘導体に塩基の存在下に、シリル化剤を作用させた後、トリアルキルオキソニウムフルオロボレートを作用させるかまたは-15℃より高い温度でイミノハロゲン化剤および有機ヒドロキシ化合物またはその塩類を順次作用させた後必要に応じて加水分解反応に付して
一般式
<省略>
(式中Yは前と同じ意味)
で示される3―置換メチル―7―アミノ―3―セフエム―4―カルボン酸誘導体を得ることを特徴とする3―置換メチル―7―アミノ―3―セフエム―4―カルボン酸誘導体の製造法。